ミュージシャンになったきっかけ、、、、ずばり試験勉強からの逃避です。
一応の進学校に通っていた高校時代。やりたい事をたくさんやって、やりたくない事はあまりやらなかった。
そのやりたい事の中に、バンド活動とフェンシングと、友達や先輩との遊びを含めたバイトがあった。
さらに徹夜麻雀や当時はやっていたドラクエなどのGAMEが入ってきて、当然勉強はほとんどやらないばかりか、三年になると学校にもあまり行かなかった。
その結果が浪人。親には申し訳なかったけど、とにかく高校生活を楽しみたかったからね。
でもそのかわり、いい大学に進んで親に恩を返そうって思ってた。
浪人生活。さあ、やるかっ!と机に向かうも、すぐに集中力が切れてしまう。
そう、勉強には習慣が必要で、数年まともに勉強してないとその習慣を取り戻すのが大変なんだ、、、、、、、、というのを言い訳にしてるとあっという間に受験シーズンが目の前に。
今まで逃げてきた現実を見つめなければならい時期に。
自分の学力と行きたい大学、それに向けての勉強方法などを考えたりした、、、、、、、。
無理、絶対無理。今からじゃ間に合わないし、そもそももう勉強したくない、と大して勉強もしてないのに思った。
そんな時に目に入ったのがとある新聞の広告。そこに書いてあったのは、新聞配達をしながら専門学校に行くという奨学制度。
音楽のコースもあった。新聞配達を仕事に、学費と家賃を払ってくれるというものだった。
”これだ!”
もちろんバンド活動や宅録は続けていたし、遠き夢としてミュージシャンを考えていたけど、そんな事よりも今思うのは、いかに試験勉強をせずに進路を決めるかだった、、、、、。
でも浪人までさせてもらって、大学行くのををやめたなんて、言えるわけない、言いたくない。
だから、この奨学制度を使って、学費も生活費も自分で稼いでいこうと思っていた。
色々資料を集めて、浪人中まともに話をしてなかった父親に意を決して自分の進路希望を告白。
両親はがっかりしていた。怒られると予想していたけど、落胆の色が濃かった。
でも、しばらくして父親が提案をしてきた。
”音楽学校の学費は出してあげるから、大学も行け。大学に入る事が音楽学校に行く為の最低条件だ。”
僕は即答し、そこからはがむしゃらに勉強し、何とか奇跡的に大学に入り、同時にヤマハ音楽院に入り、ミュージシャンを目指す事になったのでした。
あの父親の一言が僕の人生を決めたと言ってもいい。そして目標を見据えた後は、相当の集中力を持って勉強できたと思います。
その時に目標の大切さを感じました。
そして僕のわがままに賛同してくれて、お金をやりくりしてくれた親には本当に感謝してます。
同じ質問になっちゃいますけど、西川さんがギターを持ったきっかけは何ですか?